墓場まで持っていく話は1つで良い。
他は、ここでひっそりと。
×
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最近考えたり、想ったりすることは勉強についても少しはあるが、恋愛についてのことが多い。
なんで彼女は、あんなことまで言う俺を好きで、ものすごく会いたいなんて言ってくれるのだろう。
やっぱり、彼女もあの子と同じくらい俺のことを好きなんだけど、実習で忙しいから俺に没頭できず俺が彼女の好きを欲しすぎているのかな。
ここ最近は、どちらかと連絡を取っている。
あの子と連絡を取った後、特に電話した後はあの子を抱きたい気分になるし、少しばかりあの子の望みを叶えてやりたいと思えてくるし、俺自身もそれを望んでいる想いに覆われる。
時によって違うけど、想いを具体的に行動に落とし込もうとすれば、例えばその行動が将来の結婚へまでつながるようなものであるとき、「今その時の気持ちを大切にしよう、離婚しても構わない」といったマイナスの気持ちが付きまとう。
これは本当に結果として結婚という果実を結ぶべき考え方なのか、問われれば、冷静に客観視すれば、やはり違うのだろうと思えてくる。
そして逆に、彼女と連絡を取ったとき、9割5分電話なんだけど、やはり今の俺の気持ちはあの子の方が勝っていることを確認してしまうと共に、それでもやはり彼女と結婚するんだろうと思えてくる。願望に近いものなのだかもしれない。
そして、また少し好きになれる。大事なんだろうな、大切なんだろうな。楽しさがあまり無いにも関わらず、一緒に居たいと思えてくる。やはり俺のためとか、俺のことを想ってくれてるのは彼女だと感じる。
でも、俺はそんな彼女を日々傷つけている。嘘もついている。でも、そうしないと彼女の想いを確認できない、自分の想いを確認できない俺は、クソだな。ごめんね。本当に、ごめんね、好きだよ。5年後に振り返ってみると、今は彼女を愛し始めた時期に当たるのかもね。早く結婚して落ち着きたいです。
こんなふうに、対峙する相手が異なるごとにその相手に気持ちを寄せ、相手の気持ちに寄り添い、それが自分の気持ちだと認識する人間なんだなぁ、おそらく俺って。ダサいし、かっこ悪いし、女みたい。
好きになりたいし、自分の好きを確認したい。その時、相手も自分の事を好きだったら、嬉しいです。
彼女にも、あの子にも、俺にも、俺は色々なものを望みすぎているのかもしれない。
こんなことを想って、少しばかり虚しくなるのだけど、やっぱり涙は出てきてくれません。
なんで彼女は、あんなことまで言う俺を好きで、ものすごく会いたいなんて言ってくれるのだろう。
やっぱり、彼女もあの子と同じくらい俺のことを好きなんだけど、実習で忙しいから俺に没頭できず俺が彼女の好きを欲しすぎているのかな。
ここ最近は、どちらかと連絡を取っている。
あの子と連絡を取った後、特に電話した後はあの子を抱きたい気分になるし、少しばかりあの子の望みを叶えてやりたいと思えてくるし、俺自身もそれを望んでいる想いに覆われる。
時によって違うけど、想いを具体的に行動に落とし込もうとすれば、例えばその行動が将来の結婚へまでつながるようなものであるとき、「今その時の気持ちを大切にしよう、離婚しても構わない」といったマイナスの気持ちが付きまとう。
これは本当に結果として結婚という果実を結ぶべき考え方なのか、問われれば、冷静に客観視すれば、やはり違うのだろうと思えてくる。
そして逆に、彼女と連絡を取ったとき、9割5分電話なんだけど、やはり今の俺の気持ちはあの子の方が勝っていることを確認してしまうと共に、それでもやはり彼女と結婚するんだろうと思えてくる。願望に近いものなのだかもしれない。
そして、また少し好きになれる。大事なんだろうな、大切なんだろうな。楽しさがあまり無いにも関わらず、一緒に居たいと思えてくる。やはり俺のためとか、俺のことを想ってくれてるのは彼女だと感じる。
でも、俺はそんな彼女を日々傷つけている。嘘もついている。でも、そうしないと彼女の想いを確認できない、自分の想いを確認できない俺は、クソだな。ごめんね。本当に、ごめんね、好きだよ。5年後に振り返ってみると、今は彼女を愛し始めた時期に当たるのかもね。早く結婚して落ち着きたいです。
こんなふうに、対峙する相手が異なるごとにその相手に気持ちを寄せ、相手の気持ちに寄り添い、それが自分の気持ちだと認識する人間なんだなぁ、おそらく俺って。ダサいし、かっこ悪いし、女みたい。
好きになりたいし、自分の好きを確認したい。その時、相手も自分の事を好きだったら、嬉しいです。
彼女にも、あの子にも、俺にも、俺は色々なものを望みすぎているのかもしれない。
こんなことを想って、少しばかり虚しくなるのだけど、やっぱり涙は出てきてくれません。
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喜ばせてしまった。けど、そんな、あぁ喜ばせてしまった…って感じでもない。
喜んで欲しいと思っているし、もっと自分の事を分かって欲しいと思っているし、もっと相手のことを分かりたいと思っているんだと思う。
そして、それでも自分は甘い汁を吸いたいと思っているし、良い思いをしたいと思っているんだと思う。
他人には酷い状況を付与しといて、まるで教育者気取りの発言をしながら、この状況を肯定する良いわけを考えながら、又は自分や他人に思い込ませながら愚かな取るに足らない気勢を張っているだけだと思う。
好きだと言わない俺と、好きだというあの子で、彼女が居る俺と、彼氏が居るあの子で、そんな状況の中、あの子にとって俺がとても大切な存在であり続けることが嬉しくて陶酔しているのかもしれない。
もしかしたらもうあの子に彼氏は居なくなっているのかもしれないとも思うけど、あの子にそんな発言が無い以上知る由も無い。
そして、あの子も彼氏が居ない宣言をして俺を得ようする自分が嫌だから、そんな発言はしないのかもしれない。私はこんなに頑張っているんだよ、なんておこがましい事はしたくないだろう。
そんなことされたところで、話題が核心に触れると、やはりあの子にはあの子の望む状況への転換を図る程の信頼を俺から勝ち得ていないからヤキモキするだろうしやりきれなさに覆われて飲み込まれてしまう可能性だってある。
本当にあの子は、常に俺の2番目であり続けることに納得しているのだろうか。それならば、本当に素晴らしいし、それと共に可哀想だという矛盾した同情の念が湧き出てくる。
そこまで行っているならば、むしろ俺の信頼を勝ち得ているとも言えるし、1番になるべきだし、1番にしたいと思う。あの子の望む状況へ転換したいし、転換させてやりたいと思う。
でも、やはり現実に転換するとしたらさらなる要素が必要となってくる。自分の親や友達との接し方や、他の男の人との接し方や、寂しさや衝動との向き合い方などがそれだ。
2番目と1番目の違いはそれほど程までにあるのだと、改めて知らされる。
個人との繋がりと、共同体となることの違いがそれほどまでにあるのだと、改めて認識する。
ここで整理しておくと今現在の俺の気持ちは
あの子>彼女>…>バイト先の中国人
という感じなのだろうけど、将来を見据えると
彼女>あの子(ここはバイト先の中国人は考えてない)
という感じはやはり変わらない。
出来れば変わって欲しいのだろう。あの子に変わって欲しいと願っている自分が確かに居るのも事実だろう。
変わって欲しい、改革に成功して確固たる芯を改心と共に改芯を築き上げてほしいと願っているのも、また事実だろう。
しかし、その自信も無けりゃ、地に足が着いている感じが感触実感が湧かないのもまた事実であり、これは一過性のものだとやはり思ってしまう。
俺と接しているその時・その直後はあの子には確かな波が生じているだろうし俺の望む方向に顔を向けてくれるだろう。しかし、それもこれも今は一過性のものとして、まるでプールの波が徐々に静まっていくようにもとのあの子に戻っていく。そんな気がしてならない。それこそがこれからの関係を暗示しているようにさえ思えてくる。
やはり切ってはいけないものを切ろうとしているのだろうか。あの子に立てたはずの波に俺は呑み込まれようとしているのだろうか。
なんだか、自分が全く持って崇高さが無い単なる人間の要素が寄り集まった雑種であるかのような感じがする。これは迷いと呼べばいいのか、自己中心的思想と呼べばいいのか、全く予想すら付かない状況に陥ってしまったような気がする。
きっと今は若く楽しく色々やってた、という時期に該当するのだろうから、文字通りの行動に甘んじることも許されると思うが、やはり悲しみに打ちひしがれている顔よりも笑顔のほうが心地よい。
そればかりを求めて芯なき葦にならぬよう日々気を張り努力すべきなのだろう。
それでもやはりあの子を求めている感情に甘んじたいと自然と思うということは、自分に少しばかりの変化が生じている気配は感じているが、行動が先走りすぎてはダメだ。
やるべきことをやり、優先順位を明確にし、それらを常に認識しながら行動へと移していかなければ、気づいて立ち止まった時にはずべて妄想で過去で悲惨な孤独世界へと転落してしまうだけだ。
世界の中心の芯を常に意識することで何かしらの光が見えてくることを祈りながら、今日は寝ることにしよう。
おそらく、俺は今酷いことをしているんだ。いつの日か、きっと罰がくるのだろうが、それも分かって罪を犯す俺は、それらの元となるの憲法を変えるという荒業をやってのけそうな気がして少しだけ怯えている。
喜んで欲しいと思っているし、もっと自分の事を分かって欲しいと思っているし、もっと相手のことを分かりたいと思っているんだと思う。
そして、それでも自分は甘い汁を吸いたいと思っているし、良い思いをしたいと思っているんだと思う。
他人には酷い状況を付与しといて、まるで教育者気取りの発言をしながら、この状況を肯定する良いわけを考えながら、又は自分や他人に思い込ませながら愚かな取るに足らない気勢を張っているだけだと思う。
好きだと言わない俺と、好きだというあの子で、彼女が居る俺と、彼氏が居るあの子で、そんな状況の中、あの子にとって俺がとても大切な存在であり続けることが嬉しくて陶酔しているのかもしれない。
もしかしたらもうあの子に彼氏は居なくなっているのかもしれないとも思うけど、あの子にそんな発言が無い以上知る由も無い。
そして、あの子も彼氏が居ない宣言をして俺を得ようする自分が嫌だから、そんな発言はしないのかもしれない。私はこんなに頑張っているんだよ、なんておこがましい事はしたくないだろう。
そんなことされたところで、話題が核心に触れると、やはりあの子にはあの子の望む状況への転換を図る程の信頼を俺から勝ち得ていないからヤキモキするだろうしやりきれなさに覆われて飲み込まれてしまう可能性だってある。
本当にあの子は、常に俺の2番目であり続けることに納得しているのだろうか。それならば、本当に素晴らしいし、それと共に可哀想だという矛盾した同情の念が湧き出てくる。
そこまで行っているならば、むしろ俺の信頼を勝ち得ているとも言えるし、1番になるべきだし、1番にしたいと思う。あの子の望む状況へ転換したいし、転換させてやりたいと思う。
でも、やはり現実に転換するとしたらさらなる要素が必要となってくる。自分の親や友達との接し方や、他の男の人との接し方や、寂しさや衝動との向き合い方などがそれだ。
2番目と1番目の違いはそれほど程までにあるのだと、改めて知らされる。
個人との繋がりと、共同体となることの違いがそれほどまでにあるのだと、改めて認識する。
ここで整理しておくと今現在の俺の気持ちは
あの子>彼女>…>バイト先の中国人
という感じなのだろうけど、将来を見据えると
彼女>あの子(ここはバイト先の中国人は考えてない)
という感じはやはり変わらない。
出来れば変わって欲しいのだろう。あの子に変わって欲しいと願っている自分が確かに居るのも事実だろう。
変わって欲しい、改革に成功して確固たる芯を改心と共に改芯を築き上げてほしいと願っているのも、また事実だろう。
しかし、その自信も無けりゃ、地に足が着いている感じが感触実感が湧かないのもまた事実であり、これは一過性のものだとやはり思ってしまう。
俺と接しているその時・その直後はあの子には確かな波が生じているだろうし俺の望む方向に顔を向けてくれるだろう。しかし、それもこれも今は一過性のものとして、まるでプールの波が徐々に静まっていくようにもとのあの子に戻っていく。そんな気がしてならない。それこそがこれからの関係を暗示しているようにさえ思えてくる。
やはり切ってはいけないものを切ろうとしているのだろうか。あの子に立てたはずの波に俺は呑み込まれようとしているのだろうか。
なんだか、自分が全く持って崇高さが無い単なる人間の要素が寄り集まった雑種であるかのような感じがする。これは迷いと呼べばいいのか、自己中心的思想と呼べばいいのか、全く予想すら付かない状況に陥ってしまったような気がする。
きっと今は若く楽しく色々やってた、という時期に該当するのだろうから、文字通りの行動に甘んじることも許されると思うが、やはり悲しみに打ちひしがれている顔よりも笑顔のほうが心地よい。
そればかりを求めて芯なき葦にならぬよう日々気を張り努力すべきなのだろう。
それでもやはりあの子を求めている感情に甘んじたいと自然と思うということは、自分に少しばかりの変化が生じている気配は感じているが、行動が先走りすぎてはダメだ。
やるべきことをやり、優先順位を明確にし、それらを常に認識しながら行動へと移していかなければ、気づいて立ち止まった時にはずべて妄想で過去で悲惨な孤独世界へと転落してしまうだけだ。
世界の中心の芯を常に意識することで何かしらの光が見えてくることを祈りながら、今日は寝ることにしよう。
おそらく、俺は今酷いことをしているんだ。いつの日か、きっと罰がくるのだろうが、それも分かって罪を犯す俺は、それらの元となるの憲法を変えるという荒業をやってのけそうな気がして少しだけ怯えている。
あの子は、変わるのだろうか。いや、これは適切な表現じゃない。
方法や方策で変わってもダメだから、あの子は、改革できるのだろうか、これが適切だろう。
好き、な気持ちはまだいい。好き、な気持ちはまだ抑えていて欲しい気持ちすらある。
それが先行しがちなあの子だから。これは、おそらく自分でも分かっているんだろう。
分かっていてもそれに浸りたいのが女の子というものだろうし、あの子に心地よさをもたらしているのだろう。
全て、自分自身についてのことじゃないから、だろう形で弱いけど、それで良い。
紙の色、か。ミドリに辿り着けたりする可能性とかあるのだろうか。
こんなこと、あの子に言うことは無い、酷というよりも滑稽だ。
変化は好む。流転は好む。でも、芯があるからこそ、だと思う。
芯なき葦は人と呼べるのだろうか。そんな言葉に意味があるのだろうか。無い気がする。
区別するに値する意味が見出せない。カニバリズムとベジタリアニズムの違いすらままならなくなる気がする。
むしろ、野菜には芯がありますが、って感じ。いや、これは関係ないけど思いついたから書いてみた。
好き、という感情なんかどうでも良いなんて、そんな大それたことは真面目には言えないけど、そんなものよりも、もっと求めているものは他にある。
今の状況においては「好き」、それは必要条件ではあるかもしれないけど、十分条件ではない。もしかしたら必要条件でもないのかもしれない。
そして、あの子の望む状況へ転換するためには、「好き」、それはあの子にとっては必要条件でなのだろう。そしてさらに十分条件でもあるかもしれない。好きの定義の転換によっていくらでも言いようはあるけど、そんな戯言は範疇外。
僕にとって、「好き」、それはその状況への転換のためには何よりも価値ある付加価値ではあるけど、必要条件でもなけりゃ十分条件では勿論無い。
やはり、揺るがない芯、これは必要条件だと思う。現時点、とか揺るがない自信、とかそんなものじゃない。
揺るがない自信とかいうものを、自分にだけではなく僕に信じさせてくれるだけの心・脳・行動。そんな感じのもの。水、雪解け水やプールの水なんかより、安心して飲める水が欲しい。
僕が、あの子が、変わる。彼女が変わらない。こんな間が変わる。
彼女も、変わる。変わらない愛情も変わる。それなら、地球が廻るなら、地球が月の周りを廻るなら、太陽系が廻るなら、地球は廻るけど、地球は月の回りを廻るけど、太陽系は廻るけど、芯でゆっくり廻りたい。目を回さずに廻りたい。
芯、なんだよ。言葉や体や雰囲気や表情じゃないんだよ、そんな一時・即時・インスタントじゃないんだよ。欲しいのは芯なんだ。咲きたくても咲けないの。
てめぇの花、てめぇで咲かせろ、だろ。水。
方法や方策で変わってもダメだから、あの子は、改革できるのだろうか、これが適切だろう。
好き、な気持ちはまだいい。好き、な気持ちはまだ抑えていて欲しい気持ちすらある。
それが先行しがちなあの子だから。これは、おそらく自分でも分かっているんだろう。
分かっていてもそれに浸りたいのが女の子というものだろうし、あの子に心地よさをもたらしているのだろう。
全て、自分自身についてのことじゃないから、だろう形で弱いけど、それで良い。
紙の色、か。ミドリに辿り着けたりする可能性とかあるのだろうか。
こんなこと、あの子に言うことは無い、酷というよりも滑稽だ。
変化は好む。流転は好む。でも、芯があるからこそ、だと思う。
芯なき葦は人と呼べるのだろうか。そんな言葉に意味があるのだろうか。無い気がする。
区別するに値する意味が見出せない。カニバリズムとベジタリアニズムの違いすらままならなくなる気がする。
むしろ、野菜には芯がありますが、って感じ。いや、これは関係ないけど思いついたから書いてみた。
好き、という感情なんかどうでも良いなんて、そんな大それたことは真面目には言えないけど、そんなものよりも、もっと求めているものは他にある。
今の状況においては「好き」、それは必要条件ではあるかもしれないけど、十分条件ではない。もしかしたら必要条件でもないのかもしれない。
そして、あの子の望む状況へ転換するためには、「好き」、それはあの子にとっては必要条件でなのだろう。そしてさらに十分条件でもあるかもしれない。好きの定義の転換によっていくらでも言いようはあるけど、そんな戯言は範疇外。
僕にとって、「好き」、それはその状況への転換のためには何よりも価値ある付加価値ではあるけど、必要条件でもなけりゃ十分条件では勿論無い。
やはり、揺るがない芯、これは必要条件だと思う。現時点、とか揺るがない自信、とかそんなものじゃない。
揺るがない自信とかいうものを、自分にだけではなく僕に信じさせてくれるだけの心・脳・行動。そんな感じのもの。水、雪解け水やプールの水なんかより、安心して飲める水が欲しい。
僕が、あの子が、変わる。彼女が変わらない。こんな間が変わる。
彼女も、変わる。変わらない愛情も変わる。それなら、地球が廻るなら、地球が月の周りを廻るなら、太陽系が廻るなら、地球は廻るけど、地球は月の回りを廻るけど、太陽系は廻るけど、芯でゆっくり廻りたい。目を回さずに廻りたい。
芯、なんだよ。言葉や体や雰囲気や表情じゃないんだよ、そんな一時・即時・インスタントじゃないんだよ。欲しいのは芯なんだ。咲きたくても咲けないの。
てめぇの花、てめぇで咲かせろ、だろ。水。
このブログだけは決して、一生誰にも言わないでおこう。
そして、このブログで俺の本名や、登場人物の名前は全て実名を避けよう。
もし、誰かに教えたかったり、実名を登場させたいと思ったときは、他に書こう。
こういうものは必要なのだと思う。ゴミ処理場とでも、廃棄場とでも、一人の世界とでも、なんと名付けてもいいが、なんという名であれ存在理由があり続ける限り、目的に従わせよう。
やはり、今の彼女と結婚するだろう。それは今日の電話で改めて思ったことだな。もう既に俺の中では彼女ではなく、将来の結婚相手という位置に落ち着いている。
今日も活動はバイト。他には本読んだ、彼女と電話したってことくらい。
少年Aの本はやはり読んで良かったと思う。文章は好きなわけではなかったし、著者に感動したわけではない。内容に関して知って良かったと思う。これから数冊、違う本を跨ぎながらではあるが、少年Aについて読むことになりそうだ。
最近、言葉というものが煩わしく感じる。それはバイト先の中国人とのチグハグのコミュニケーションが心地よかったりすることにも一因があるのだろうけど、全ての概念の説明やモノの捉え方が言葉遊びに思える。
全てを難しくさせているのが言葉で、陳腐なモノにしている気がする。
やっぱり、限界でも画であり、BESTは雰囲気であり触れ合いなのだと思う。
人間の命をそんな尊厳あるものとして見るくせに、他のものは食べるためなら殺して良いのかい。
もしくは、殺すためじゃないといけないのかい。
猫を殺すとナゼそんなに嫌悪する。体をバラバラにするとなぜ異常者扱いか。
こんなことを考えている俺は正常者で、実際に行動にうつした彼は一生異常者か。
すべて、言葉。遊び。なんだ。そして、君は悩んでいるのだろう、なんて素っ気ない言葉で置き去りにされ、彼女らは笑いながら日常を送る。そんな言葉に何の必要性があるのか分からない。
無口。あぁ、無口。声帯。声帯。あぁ声帯。明日、朝起きたら声が出ませんでした、これなら俺は異常者じゃないんだろうな。傷があったら異常者で弱虫なんだろうな。悩める子羊で、可哀想な勉強しすぎた現代社会の犠牲者なんだろうな。
そして、あぁ君らを唸らせる言葉を考えるのさえ面倒だし、やはり何も俺には響かない言葉。あぁあ。
一生カタコトのコミュニケーションで繋がる関係なんてあったら飛びつきたいな。
これ、精神科のお偉い先生方が見たら、なんて書き連ねるんだろう。
こんな事書いたら、誰かに救ってもらいたいとか、他人を意識して書いているとか、なんてらこうてらって難しい言葉を扱いながら書き連ねるのだろう。それすらも言葉遊びなんだろうな。仕事なんだろうな。心配や俺を分析したい感情なんだろうな。はぁ、そうですか。言葉遊びって良い表現みつけたな、俺じゃないけどさ。
やっぱり、あの中国人の女の子可愛いわ。ちょっと好きになってみたいし、好きにならせてみたいし、カタコトのコミュニケーションを楽しみたいし、中国人の考え知りたいし、日本人の俺の反応も知りたいし、興味深いなぁ。
カタコトの関係がいいなぁ。出来るだけ日本語の吸収しないで欲しいな。それか、俺が中途半端な英語を学習して、それだけでコミュニケーションしたいな。完全化した塊にはもう興味は無いのです、そんな態度で。
はぁ、コミュニケーションから遠ざかっているってことなのかなこれは。対人恐怖症ではないから、対人避ようとしているかもしれない症とか言えばいいのかい。病名、言葉遊びの極みか。
定義の意味を的確に捉えようとすれば、もっと整然とするかと思ったけど、進む道は思った方角と逆かよ。もしくは、向いている方向はあっているのにギアをDとB入れ間違ってアクセル踏み続けているんかい。じゃあ早く事故って止まれや。ここは砂漠か。じゃあ砂にはまれや。ここはなんや。地球や。丸いんや。やからぶつからんのや。うっそ~。何も無いのかいこの地球ってとこには、おいおい。
言葉遊びも度が過ぎると笑えてくるわ。
そして、このブログで俺の本名や、登場人物の名前は全て実名を避けよう。
もし、誰かに教えたかったり、実名を登場させたいと思ったときは、他に書こう。
こういうものは必要なのだと思う。ゴミ処理場とでも、廃棄場とでも、一人の世界とでも、なんと名付けてもいいが、なんという名であれ存在理由があり続ける限り、目的に従わせよう。
やはり、今の彼女と結婚するだろう。それは今日の電話で改めて思ったことだな。もう既に俺の中では彼女ではなく、将来の結婚相手という位置に落ち着いている。
今日も活動はバイト。他には本読んだ、彼女と電話したってことくらい。
少年Aの本はやはり読んで良かったと思う。文章は好きなわけではなかったし、著者に感動したわけではない。内容に関して知って良かったと思う。これから数冊、違う本を跨ぎながらではあるが、少年Aについて読むことになりそうだ。
最近、言葉というものが煩わしく感じる。それはバイト先の中国人とのチグハグのコミュニケーションが心地よかったりすることにも一因があるのだろうけど、全ての概念の説明やモノの捉え方が言葉遊びに思える。
全てを難しくさせているのが言葉で、陳腐なモノにしている気がする。
やっぱり、限界でも画であり、BESTは雰囲気であり触れ合いなのだと思う。
人間の命をそんな尊厳あるものとして見るくせに、他のものは食べるためなら殺して良いのかい。
もしくは、殺すためじゃないといけないのかい。
猫を殺すとナゼそんなに嫌悪する。体をバラバラにするとなぜ異常者扱いか。
こんなことを考えている俺は正常者で、実際に行動にうつした彼は一生異常者か。
すべて、言葉。遊び。なんだ。そして、君は悩んでいるのだろう、なんて素っ気ない言葉で置き去りにされ、彼女らは笑いながら日常を送る。そんな言葉に何の必要性があるのか分からない。
無口。あぁ、無口。声帯。声帯。あぁ声帯。明日、朝起きたら声が出ませんでした、これなら俺は異常者じゃないんだろうな。傷があったら異常者で弱虫なんだろうな。悩める子羊で、可哀想な勉強しすぎた現代社会の犠牲者なんだろうな。
そして、あぁ君らを唸らせる言葉を考えるのさえ面倒だし、やはり何も俺には響かない言葉。あぁあ。
一生カタコトのコミュニケーションで繋がる関係なんてあったら飛びつきたいな。
これ、精神科のお偉い先生方が見たら、なんて書き連ねるんだろう。
こんな事書いたら、誰かに救ってもらいたいとか、他人を意識して書いているとか、なんてらこうてらって難しい言葉を扱いながら書き連ねるのだろう。それすらも言葉遊びなんだろうな。仕事なんだろうな。心配や俺を分析したい感情なんだろうな。はぁ、そうですか。言葉遊びって良い表現みつけたな、俺じゃないけどさ。
やっぱり、あの中国人の女の子可愛いわ。ちょっと好きになってみたいし、好きにならせてみたいし、カタコトのコミュニケーションを楽しみたいし、中国人の考え知りたいし、日本人の俺の反応も知りたいし、興味深いなぁ。
カタコトの関係がいいなぁ。出来るだけ日本語の吸収しないで欲しいな。それか、俺が中途半端な英語を学習して、それだけでコミュニケーションしたいな。完全化した塊にはもう興味は無いのです、そんな態度で。
はぁ、コミュニケーションから遠ざかっているってことなのかなこれは。対人恐怖症ではないから、対人避ようとしているかもしれない症とか言えばいいのかい。病名、言葉遊びの極みか。
定義の意味を的確に捉えようとすれば、もっと整然とするかと思ったけど、進む道は思った方角と逆かよ。もしくは、向いている方向はあっているのにギアをDとB入れ間違ってアクセル踏み続けているんかい。じゃあ早く事故って止まれや。ここは砂漠か。じゃあ砂にはまれや。ここはなんや。地球や。丸いんや。やからぶつからんのや。うっそ~。何も無いのかいこの地球ってとこには、おいおい。
言葉遊びも度が過ぎると笑えてくるわ。
周りは恋沙汰に高揚と落胆を繰り返している。
俺もそんな日常を欲しているのだろうか。なんだか、そういう悲しみや感動を味わいたい気もする。
最後にそんな感情持ったのいつだろう。重篤ではないにしろ、空っぽな世界。あぁ刹那。
バイト先の中国人はやはり可愛い。4つか5つ上だけど可愛い。
既に俺の方が上になってきた感さえもある。
ほのかな喜びと、いつものポーカーフェイスに落ち着く俺。あぁ刹那。
結局この前は連絡先聞かなかったけど、好きなタイプとか聞かれたり、ちょっとした悩みなどを打ち明けられた。
手に入れる前のくすぐったい手触り。少しずつ距離の縮まるレジ前。
赤面になった顔はやはり異国人と言えど、さしも変わらず可愛い。
それでも好きなタイプを可愛い人ではなく、綺麗な人と応ずる俺はいつも通りの微笑み。あぁ刹那。
夜勤の中国人の人が来たら中国語で加速度的に話し始める彼女に、みんなにこんな感じなのだろうと思う俺は、冷静と情熱の間なんて清らかな感情は無い。
微笑みとともに、今だ普通のバイト先の人である自分を認識し、先に上れる階段を確認して体を動かせる余白と上り詰める先がある流離人の如き気情で、晴れやかだ。あぁ刹那。
明日(今日)も一緒に入るのか。明日は店長いるからそんな話せないけど、こんなちょっとした楽しみがあるから既に満足。しかも、月曜日にはあの子の発表を見るということで1ヶ月半ぶりにあの子に会う。
こんなちっぽけな楽しみがあるのは、実は世界のどこかの誰かが思い描く理想像なのだろう。
あぁ刹那といいながらペンを走らす俺は、もう男なのだろう。認識。
しかし、今読んでる酒鬼薔薇聖斗の本に出てくる少年Aの精神鑑定を読むと、実に自分に似通っている部分がある。
彼は蛙や蛞蝓、次に猫、果てに人間を対象物を上り詰めて行った。
俺は蟻をずっと対象物とし、蛙などもあった。人を快感殺生の対象物とすることが無かったのは決定的な違いか、分からない。けど結果の差は社会生存では大きな差だとはやはり自ずと分かってくる。
彼は他人を野菜と称した。
俺はジャイナ教の裏返しとして、人と蟲の命の差はさほど無いと考えていた。今でもその節は残っていると思う。むしろ、ジャイナ教に初めて触れた時は感動さえもあった。ジャイナ教をさほど理解してない俺だから上述の裏返しは適切な表現か分からない。そしてジャイナ教はベジタリアニズムに通じるらしい。
俺の場合は動的生物と静的生物の命の差も取り立てて区別していなかったため、もう少しジャイナ教についての理解を深めないといけないと思うと共に、核となりそうなアヒンサーという行動規範についても理解する必要がありそうだ。必・要、そうだ。
旧約聖書。新約聖書・コーランを読んだ後は、それらがさほど理解に至っていないまでもジャイナ教について学びたい。そんな心境に至った。
おいそれとジャイナ教に飛びつきたい気もするが、やはり長年の思いが故にキリスト教やイスラム教には触れておきたいと思う。宗教はやはり深く行き着く先なのだろうか。そこすら疑問な俺は学ぶしかないし、続くしかない。そして生きるのだろう。
少年A、もう25歳か26歳の大人Aになって娑婆で酒鬼薔薇と今だ葛藤しているのだろうか。バモイドオキ神の夢は未だに見るのだろうか。
夢をさほど見ない俺は、このような思いが単なる興味本位からくるものであり野次馬根性が故のものだと信じたい。それでもその興味はヒトラーの「わが闘争」まで手を伸ばしているのも、また事実である。
あぁ刹那。刹那。殺生。不殺生。アヒンサー。ヒトラー。わが闘争。
ダリ、なぜ君は多くの人の興味を集め共通点を作ったのか。性的快感はそこにあるのか。
蟻を殺して射精せずに、俺は救われているのだろう。分化されたこと自体、この上の無い幸せなのだろう。
あぁ刹那。
これを書いた時、誰の顔が浮かんでいるのか。あぁわが闘争。
刹那は単位なのに、ね。
俺もそんな日常を欲しているのだろうか。なんだか、そういう悲しみや感動を味わいたい気もする。
最後にそんな感情持ったのいつだろう。重篤ではないにしろ、空っぽな世界。あぁ刹那。
バイト先の中国人はやはり可愛い。4つか5つ上だけど可愛い。
既に俺の方が上になってきた感さえもある。
ほのかな喜びと、いつものポーカーフェイスに落ち着く俺。あぁ刹那。
結局この前は連絡先聞かなかったけど、好きなタイプとか聞かれたり、ちょっとした悩みなどを打ち明けられた。
手に入れる前のくすぐったい手触り。少しずつ距離の縮まるレジ前。
赤面になった顔はやはり異国人と言えど、さしも変わらず可愛い。
それでも好きなタイプを可愛い人ではなく、綺麗な人と応ずる俺はいつも通りの微笑み。あぁ刹那。
夜勤の中国人の人が来たら中国語で加速度的に話し始める彼女に、みんなにこんな感じなのだろうと思う俺は、冷静と情熱の間なんて清らかな感情は無い。
微笑みとともに、今だ普通のバイト先の人である自分を認識し、先に上れる階段を確認して体を動かせる余白と上り詰める先がある流離人の如き気情で、晴れやかだ。あぁ刹那。
明日(今日)も一緒に入るのか。明日は店長いるからそんな話せないけど、こんなちょっとした楽しみがあるから既に満足。しかも、月曜日にはあの子の発表を見るということで1ヶ月半ぶりにあの子に会う。
こんなちっぽけな楽しみがあるのは、実は世界のどこかの誰かが思い描く理想像なのだろう。
あぁ刹那といいながらペンを走らす俺は、もう男なのだろう。認識。
しかし、今読んでる酒鬼薔薇聖斗の本に出てくる少年Aの精神鑑定を読むと、実に自分に似通っている部分がある。
彼は蛙や蛞蝓、次に猫、果てに人間を対象物を上り詰めて行った。
俺は蟻をずっと対象物とし、蛙などもあった。人を快感殺生の対象物とすることが無かったのは決定的な違いか、分からない。けど結果の差は社会生存では大きな差だとはやはり自ずと分かってくる。
彼は他人を野菜と称した。
俺はジャイナ教の裏返しとして、人と蟲の命の差はさほど無いと考えていた。今でもその節は残っていると思う。むしろ、ジャイナ教に初めて触れた時は感動さえもあった。ジャイナ教をさほど理解してない俺だから上述の裏返しは適切な表現か分からない。そしてジャイナ教はベジタリアニズムに通じるらしい。
俺の場合は動的生物と静的生物の命の差も取り立てて区別していなかったため、もう少しジャイナ教についての理解を深めないといけないと思うと共に、核となりそうなアヒンサーという行動規範についても理解する必要がありそうだ。必・要、そうだ。
旧約聖書。新約聖書・コーランを読んだ後は、それらがさほど理解に至っていないまでもジャイナ教について学びたい。そんな心境に至った。
おいそれとジャイナ教に飛びつきたい気もするが、やはり長年の思いが故にキリスト教やイスラム教には触れておきたいと思う。宗教はやはり深く行き着く先なのだろうか。そこすら疑問な俺は学ぶしかないし、続くしかない。そして生きるのだろう。
少年A、もう25歳か26歳の大人Aになって娑婆で酒鬼薔薇と今だ葛藤しているのだろうか。バモイドオキ神の夢は未だに見るのだろうか。
夢をさほど見ない俺は、このような思いが単なる興味本位からくるものであり野次馬根性が故のものだと信じたい。それでもその興味はヒトラーの「わが闘争」まで手を伸ばしているのも、また事実である。
あぁ刹那。刹那。殺生。不殺生。アヒンサー。ヒトラー。わが闘争。
ダリ、なぜ君は多くの人の興味を集め共通点を作ったのか。性的快感はそこにあるのか。
蟻を殺して射精せずに、俺は救われているのだろう。分化されたこと自体、この上の無い幸せなのだろう。
あぁ刹那。
これを書いた時、誰の顔が浮かんでいるのか。あぁわが闘争。
刹那は単位なのに、ね。